管理人:@grothendieck__

首都オタワ
国家元首ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング
政体君主制民主主義
人口3759万人
国歌O Canada
通貨カナダドル
公用語英語


概要

元々イギリス王室の植民地だったが、第一次大戦勃発後イギリスが敗戦しカナダに亡命する。
王室領カナダ共和国として政権を樹立する。

歴史

  • 先住民の時代
 4万年前の氷河期に、ベーリング海峡が地続きであったので、モンゴロイドがシベリアから北米大陸に移動し、現在のインディアンやイヌイットなどの先住民となる。彼らは氷原や森林での狩猟生活を営み多くの部族に分かれて生活していた。 → 人類の拡散
  • ヴァイキングの渡来
 西暦1000年頃、北ヨーロッパのヴァイキングと言われる漁業民がアイスランドを経由してニューファンドランド島に到達したが、彼らの居住地は永続しなかった。 → ヴァイキングの北アメリカへの入植
  • カナダ(2) ヨーロッパ人の入植
ヨーロッパ人の「カナダ」発見
 1497年、イギリス(ヘンリ7世)の派遣したイタリア人のカボットがアジアに到達する西北航路を発見を目ざしたが、その途中に現在のノヴァ=スコシア、ニューファンドランドに到達し、ヨーロッパ人として最初に北米大陸に上陸した。この海域は豊かなタラ漁場だったので、イギリスやスペイン、ポルトガル、フランスなどの漁師が殺到するようになった。しかしこの段階ではイギリスはこの地に植民地を領有しようとはしなかった。
フランスの進出
 1534年、フランスのフランソワ1世がジャック=カルティエを北米に派遣、セントローレンス川流域を探検させた。カルティエはこの地をカナダと名付け、フランスは1534年にはこの地をフランス領とすると宣言し、1603年アンリ4世の時に植民地を成立させた。ついで1608年、フランス人サミュエル=ド=シャンプランがセントローレンス川中流域に永続的なケベックを創設、ヌーヴェル=フランスとして植民地経営を開始した。さらに、ルイ13世の宰相リシュリューは1627年、ヌーベル=フランス会社を設立し、植民地経営を会社に委ねた。フランスの植民目的はインディアンとの毛皮交易(ビーバーの毛皮が、ヨーロッパで帽子の材料とされて需要が高まっていた)を行った。フランスはさらに1642年にはモントリオールにも拠点を設ける。ルイ14世のもとでコルベールはヌーベル=フランス会社を廃止、植民地を王領(直轄領)とした。フランスは五大湖地方からミシシッピ川流域に南下して植民地を拡大、1682年にルイジアナとして領有した。
  • イギリスの進出
 一方、 イギリスは17世紀の初めハドソンを派遣して、北アメリカ大陸の北を通ってアジアへに抜けるルート(北西航路)を探索させたが、失敗した。その後、ハドソン湾地方が豊かな毛皮産地であることに注目し、ハドソン湾会社を設立してインディアンとの毛皮貿易を開始し、カナダ西部の内陸地方にも進出したが、次第にフランスとの競争が激しくなった。<木村和男『カヌーとビーヴァーの帝国 カナダの毛皮交易』 
  • カナダ(3) イギリスとフランスの抗争
フランスとイギリスの抗争
 18世紀のイギリスとフランスの植民地抗争は北米大陸でも激しくなり、スペイン継承戦争(北米ではアン女王戦争)後の1713年のユトレヒト条約ではニューフアンドランド、アカディア、ハドソン湾地方をイギリスに割譲し、フランス領はケベックを中心としたセントローレンス川流域から、五大湖地方、ミシシッピ流域のルイジアナに及ぶ地域となった。
 さらに七年戦争(1756〜63年)と並行してフレンチ=インディアン戦争が起き、優位に戦ったイギリス軍がフランスの拠点ケベックを占領、1763年のパリ条約でフランスはカナダ側の大部分をを放棄することとなった。これによってイギリス領カナダ植民地が成立することとなった。
  • イギリス領カナダ植民地の成立
 イギリス植民地議会は1774年ケベック法を制定し、ケベックのフランス系住民(約65000人)に対し、そのカトリック信仰、フランス語の使用、フランス民法の適用を認めた。翌1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると、独立に反対したロイヤリスト(王党派)がイギリス領カナダに大量に移住してきた。アメリカ合衆国の独立勢力はカナダも加わることを働きかけたが、実現せず、カナダはイギリス植民地として残ることとなった。この間、1793年には、マッケンジーがロッキー山脈を越えて大陸横断に成功し、植民地は太平洋岸にひろがった。
  • カナダ (4)カナダ連邦の成立
イギリス植民地カナダは1867年、イギリス領で最初に自治が認められ、カナダ連邦となる。1931年にはイギリス連邦の中で実質的に独立した。
  • カナダの自治の開始
 イギリス植民地としてのカナダは、南北戦争の時、イギリス議会が北アメリカ法を制定し1867年7月1日に「自治領」となった。これがイギリスの海外領土で初めて認めらた自治領である。カナダはこれによってイギリス帝国の下で自治権を有する一つの「カナダ連邦」という連邦国家となり、オタワに連邦首都が置かれた。この時は外交権はまだ付与されず、独立国家とは言えなかったが、自治が認められたこの年7月1日を現在のカナダでは独立記念日「カナダ・デー」としている。1885年 カナダ太平洋鉄道が完成、大西洋岸と太平洋岸が結ばれた。この建設では多くの中国移民が酷使された。
自治領の意味 イギリスの自治領とは、国家元首としてイギリス国王を戴き、外交・国防・通貨などは本国の統治を受けるが、その他については独自の議会と政府を有して自治を行うことができる国家形態である。イギリスは多くの植民地を所有していたが、白人が優位に立っているカナダに対してこのような自治権を最初に与えた。ついで1901年にオーストラリア連邦、1907年にニュージーランド、1910年に南アフリカ連邦を自治領とした。しかし直轄領としていたインド帝国では、自治の要求は強かったが認めなかった。
  • イギリス連邦の成立とカナダ
 第一次世界大戦(1914〜1919年)にカナダはイギリス帝国の一員として参戦。だが帝国協定にイギリスは敗北、カナダへ亡命する。

政治

地理

国民

軍事

陸軍・海軍・空軍はイギリス王国ツリーのものを使用している。

陸軍

海軍

強さはかつてのロイヤルネイビーに匹敵するほどの強さ。

空軍

外交

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